本に限らず文章を読む機会は今も昔もあるのですが、学生の頃は小説だったりハウツー本だったり、「読みたいものを読む」ことがほとんどだったように思います。ところが、社会人になってからはどちらかというと、「必要だから」読む機会のほうが増えた気がします。
好きな本を読んでいた頃は、自分が楽しむために読むわけですから時間など気にせずにノビノビと読書に没頭していました。ところが、読む動機が「必要性」となると、じっくりと読む暇なんてありません。なるべく早く読むことが重要となってきます。
仕事に必要なあらゆる情報を毎日のように吸収していくため、どうしても読むスピードが大事になってきます。もちろん仕事のほかにも余暇で楽しむために本を読みたいときだってある。そうすると、読むスピードが早ければ速いほどいいに決まっています。
人によって読む早さが違うのはなぜか
世の中には、文章を読むのがとても速い人がいる一方で、他の人よりも遅い人がいます。これは、本に限らずどのような種類の文章でも同じようです。自分もどちらかと言えば遅い方に含まれるように思います。
子どもの頃に「速読法」について書かれたハウツー本が本屋でいくつも並んでいて、実際に購入して読んだ記憶があります。
最初は目を動かす運動からはじまり、1行ごとに読んでいく、3行ごとに読んでいく、そうやって少しずつスピードを上げていって、最後にはページをペラペラとめくるだけで本の内容が頭に入ってくる。3分もあれば一冊読み切ることができます・・・って、「そんなわけないだろ!」と、憤慨していた覚えがあります。
そもそも、1行ずつ読むなんでこと、無理だったわけです。そこまでの達人的なスピードは求めないにしても、文章を読むスピードが人によってかなり差があるもは事実です。
では、いったいどうして本を読むスピードが速い人と遅い人がいるのでしょうか。頭の中をのぞくことはできないので、他の人がどのようにして読んでいるのか本当のところは確認のしようがありません。
しかし、どうやら同じ文章を読んでいるのに、根本的に「読み方」に違いがあるようです。これはもう「癖」のようなものなので、意識して強制していかないと変えようがないようです。
心の中で繰り返してはいけない
自分もそうなのですが、文章を読むのが遅い人は、文章を心の中で「言葉」にして繰り返してしまう癖があります。このことが、最も読むスピードを遅らせてしまう原因になります。一方で、スピードが速い人は本を読んでいるときに心の中で言葉にするなんてことは一切していないようです。
これは、言ってみれば心の中でやる「音読」のようなものです。なぜこのようなムダなことをしてしまうのでしょうか。
推察するに、どうやら小学校の頃に国語の教科書を読むとき、声を出して音読させられた経験が、「文章を読むときは音読するもの」として体に染みついてしまったのではないでしょうか。
声に出して読むことで、しっかりと内容を噛みしめながら文章を読むことはできます。ところが、その読み方が身についてしまうと、声に出して読まないときであっても「心の中で」音読してしまうことをやめられなくなってしまったというわけです。
心の中から言葉を追い出すテクニック
読むスピードを遅くする原因となっている「心の中の音読」をやめるには、いったいどうすればよいのでしょうか。
これを回避するための最も簡単な方法は、何か代わりになる他の言葉を心の中で唱えることです。
例えば、数字で「1、2、3、4、5」だったり、あるいは単純に「あ、い、う、え、お」だったり。唱える言葉は何でも構いません。自分の好きなバンドやタレントの名前だったり。
まあ、心の中だけですのでちょっと他の人には言えないような下ネタ系の言葉だって問題はありません。(ただし、あやまって口から出てしまったときにはかなり気まずい思いをするかも知れませんが)
とにかく、文章とはまったく関係のない言葉を心の中で呪文のように唱えるだけで、文章を心の中から追い出すことができます。
そうすれば、心の中を音読することなく、目だけで文章を追い続けることができるようになり、読むスピードが数段階もアップするというわけです。
どのような速読法を試すよりも、まずはじめにすべきことはこの方法だと思います。そうやって、「心の中で音読する」癖をやめることが、最初にやらなければならないことです。